我未足得木鶏

ディプロマシーについてあれこれ。

2024年3月24日 ボイスチャット・ディプロマシー会・「春の目覚め」 行軍譜と所感

レギュレーション

プレイ時間4時間30分・外交時間は20~25分。

プレイ目標・「制覇を目指すが、ゲーム展開上それが不可能と判断したならば1補給地でも生き残りを図る」ことを目的としてプレイし、終了時点で「その後に最も制覇の可能性の高いと考えられる国家のPL」とゲームの過程で最も健闘したPLを「MVP」として評価する。

 

(陸軍 A  艦隊 F  移動 -  支援 S  輸送 C  維持 H で表記)

 

1901春行軍

西では英がウェールズOP、仏がイングリッシュディフェンスと衝突する中で独はBur攻撃ではなくBel確保で3増を狙います。 伊はレパントだがA Ven-Pieで仏に対し圧力をかけ、墺はバルカンギャンビット(ガリシアVer)。

土はブラックシー・エクスチェンジで01秋にFをAgeに持って行く構えですが01春に露にBlaを渡したことがどう出るでしょうか? 

露はサザンディフェンスでBlaに入れたことは大きな成果ですが西側で仏英が強力に殴りあってしまったため露土で組んでも少数派になってしまう懸念が極めて高い状況。 英独墺伊のラインがそれなりに固そう(独がBur攻撃してないので、『それなり』)な状況で秋にどう動くか?

 

1901秋行軍

英はEngに侵入、仏はF Bre-MaoしてBreを空け増設をF Breとすることで英に2艦隊を当てれるように動きます。 独はSwe SO実施の上で悠々3増。 伊は対仏圧力を掛けながらのレパント、墺はバルカンギャンビット遂行。

露はここでF Bla-ConではなくSevでSOしBlaを確保することで土を切ります。

その土ですがA Bul Hは… 西の状況を考慮すれば墺との連携に使うべき軍だし、露土完遂ならA Bul S (A Ukr-Rum)なりしないといけない。 正直これでは「鼎の軽重が問われ」てしまいます

 

1901増減

英仏独墺伊の増設は予定調和ですが、逆に露土のそれは大きく目を引きます。

露はF Stp(nc)を選択し仏のF Breに呼応するとともに仏独露の三国海驢(対英)につなげる狙いのようです。 

土のA Conは面白いですが、盤面は厳しく大きく外交で動かさなければジリ貧となるように見えます。

 

1902春行軍/英のF EngはNthへ撤退

西では仏が全ての攻撃をブロックし体制を保ちます。 英はEngから撃退され、独はBurに(確実に入れたにも関わらず)侵入できず、となり対仏は「日暮れて途遠し」といった状態。

東では伊がレパントの成功を確実なものとし、独墺の大軍にWarが包囲され露土両国が大きく揺らぎます。

ただ土はBulを絶対防御するなら露にF BlaとA Armでの合意SOを持ち掛けないとBulが保てないし、その露もStpとBlaの二つのFに維持命令を下しています。 F Stp(nc)-NwyやF Bla S (A Rum H) など「やって損はない」行動はあり極力維持命令は下したくないところです。

 

1902秋行軍/仏のF EngはBreへ撤退

英がEngに再侵入、独はSweとWarを確保と躍進するも西では何故かBelの失陥を恐れ仏軍のBur侵入を許してしまいます。 また墺は土の(独視点では)「謎の反転」によりBulを手に入れます。

 

1902増減

独8墺6と伸びるも英独・伊墺間で大きくバランスが崩れます。

それが次の年にどう響いてくるでしょうか?

 

1903春行軍/墺のF Bul(sc)はGreへ撤退

英が仏と組みなおし対独に向かう。 正直ここまで独が対仏に力を入れてない以上残当でしょう。 ただ仏もF Por-Spa(sc)ではなくMaoにFが動きます。 仏伊でMarでSOした場合動けなくなってしまうのでそうしたのかもしませんが、何にせよ「可能性」に満ちた位置にFが入る事となりました。

墺伊は複雑な動きを見せます。 墺はF Bul-AgeでBulからの撤退を意図するとともにTyrへ進出し、伊はAgeへ支援付きでFをねじ込みA Pie-Venで墺に備えます。

正直盤面からでは両国の意図を探るのは難しいですが、伊の動きは(例えばAlbにA Syrを動かすなど)徹底した対墺転換という訳でもないので主導権は墺側に残りそうです。

 

1903秋行軍

決定的な転換点となった03秋。 独の動きは仏独露への転換を意図したものでポイントとなるのは仏のF Maoの存在。 F Mao-Iri,F Bre-Mao,A Bur-Gas,A Pic-Bur,A Mar-Burで英補給地LvpへGasからAを送り込めるプラン提示~仏受諾~それ前提での行軍でした。

実際確実に英本土へAを送り込める訳でそれなりには訴求性のあるプラン(のように思う)ですが独側にはそうせざるを得ない事情がありました。 この部分は後半に記載します。

結果的には独はMunに、伊はPieに仏Aが侵入し両国は厳しい状態に。

 

1903増減

 

1904春行軍/仏のA MunはKieへ撤退、伊のA Armは解体

ここで墺は仏からのVen攻略のSと引き換えに「伊切り」を選択。

その仏はF Mao-Nafという「魅力的な選択肢」を捨ててEngへ入ります。 合意、つまり対独の攻撃ポイントを増やすため、みたいな話と聞いてましたが、すでにBelを確実に攻略できる状態にある以上必要性は薄く、「市に虎を放つ」ように見えます、虎の意図が那辺にあるかわかりませんが。

 

1904秋行軍

仏はWalに上陸。 この秋に自身が8補給地になれば英が独を切ったロジックが自分に跳ね返ってくるためそうなるか。 東も本来Bulが陥ちる場面では無いのですが…

 

1904増減

仏はBreとMarで2つのF建造を選択。 正直そこまで形は良くないが墺の今後の成長速度を考えると無理をしていかなければいけない場面でもあり決断したか。

墺は逆にAのみの増設。 Triで建造したFは展開までに時間がかかるのでここでBuildしておいた方が良かったかもしれません。

 

1905春の盤面

英4仏8独5墺8伊3露3土3と仏墺2強の盤面。

ここからの明日を占う為、N氏と一問一答を行ってみました。

 

問「制覇に最も近い国はどこか?」 答「墺であり僅差で仏、仏制覇は外交頑張る必要がある。」

問「制覇自体は出るか?」 答え「出るだろう。 どちらかを包囲する態勢になってないのだから。」

氏「いや僅差ではなく大分墺有利だね、次の増設でF造らなかったら大分遠のくが。」

私「渦中にいると目が曇るな、仏が僅差で有利くらいに考えていた。」

氏「それは独として仏に対峙していたからだろう。 見事なプレイだった。」

私「最優秀(健闘)PLを仏、最も制覇に近いのが墺、ということで問題なさそうだね?」

氏「そうだね。」

 

各国短評(という名の、あくまで筆者の感想)

良かった国・仏と墺

 

フランス共和国

 

MVP国。 初期包囲から始まった盤面だが行軍で凌いで態勢を整えつつ、外交で多数派を切り崩し反撃。 その後も自国が最大の利益を得られるように外交と行軍を調整・実行できていました。 これが2回目のプレイという事で「後生畏るべし」。

 

「なんという冷静で的確な判断力なんだ!!」(画像略)

 

オーストリア・ハンガリー帝国

 

「多数派に自国を組み込んでその中で最大の利益を上げました」で終わってしまうのですが、孫子も「故善戰者之勝也、無智名、無勇功 (蛇足---戦上手は(勝つべくして勝つ戦いをするので)知恵者だとか勇者だとか言われない)」と言ってるように本来はこちらが王道か。

それにしても露土の「崩れ」が大きいので運の部分が大きいようにも見えますが、そうなるよう感情誘導を仕掛けたのなら力量、それで動くPLがそこにいたなら幸運であり、運も実力です。 制覇に最も近い国。

 

普通の国・独と伊

 

ドイツ帝国(筆者担当国)

 

「へたこいた場面もあるが、平均以上のドイツ」とはN氏評、個人的には「普通」。

よくできたAIに「難易度・普通の独としてプレイせよ」とか命じたらこんな感じになるんじゃない?みたいな感じ。

夜勤明けで充分睡眠がとれなかったからなー あと睡眠時間を確保するため朝食も食べないままプレイしたしなー あと「初心者会」と銘打った今卓に人数の都合とはいえ参加した引け目もあったろうなー あとは…

 

イタリア王国

 

自国を多数派に組み込み、明確な目的意識で合理的に軍を動かしていたように思いますが、墺と違って「多数派の中での貧乏くじ」側になってしまいました。

前述したように東側の「崩れ」を不運と見ることもできますが、レパントという「収穫に時間のかかる」作戦を採るなら墺の主導権を制限する策を打つ必要がある様に考えます。

具体的には01秋終わりの露の増設を三国対土に向けたA Sevとし土の崩壊を早めるとともに墺が露を攻撃した場合の抵抗力を増す、そして02春の独軍の動きを対仏全面攻撃に誘導する(英独伊の三国会談で話すのが良いでしょう)、これらは「御尤も」な内容であり通ったであろうし、この部分だけでも未来は大きく違った内容になったと思います。

盤面全体をコントロールする視点でプレイすればより良い結果が生れたかもしれません(誰がどの口で言ってるのかは別として)。

 

良くなかった国・英と露と土

 

ロシア帝国

 

戦線が広い露は少数派になると一気に攻勢を喰らいがちであり英仏が序盤ガチ殴りしあった今卓では多数派形成に苦しむことになります。 ただ英仏激突はかなり明示的であり、土がF Ank-Blaを選択しない見込みなので露としては独墺と組む動機づけとチャンスはあり、その場合露は独墺とそこまで相性が良い国家ではないので組む(または組まざるを得ない)なら「大きく支払う」必要があると個人的には考えてます。

具体的には南ではトルコアタック(F Sev-Bla,A Mos-Sev)やF Sev-Rumからの秋のブルガリアンギャンビット、または北ならStpシステム(A Mos-Stp含む行軍)の採用などであり、また違った未来があったと思います。

 

オスマントルコ帝国

 

中の人とは「向こう様のご厚意により」お付き合い「頂いている」関係であり、最大限穏当な表現にしたいが… 「かなりひどい」と言わざるを得ないですね…

麻雀に例えると「發と中をポンした相手に生牌の白を切って役満に振り込む」とかそんな感じ。

正直楽しんで頂けたのなら何よりです。

 

イギリス王国 は次に記載

 

英仏の明暗を分けたもの

英は初回、仏は2回目のプレイでしたが両国ともに明確な目的意識とそれに向かって合理的に行軍を選択できており非常にレベルは高いと感じました。

振り返れば仏の包囲網からの逆転劇は鮮やかで劇的ですが、意地の悪い言い方をすれば「多数派形成に失敗したのでそうならざるを得なかった」訳で、最初から英独墺伊のラインに組み込めた英の方が有利だった筈です。

しかし仏は西側の勝者となったのに対して英は「独に使い捨てられるのを嫌って反転、結果仏に使い捨てられた」といった盤面になったのは何故でしょうか?

 

なぜなぜ分析してみましょう。

 

①なぜ英の対仏は成功しなかったのか? ⇒ 独の対仏姿勢が弱かったからである。

②なぜ独の対仏姿勢は弱かったか? ⇒ 独は対仏より対露を優先したからである。

③なぜ独は対露を優先したのか? ⇒ それが有利だと判断したからである。

④それは英の国益に合致するのか? ⇒ そうは考えない、が具体的に英から具体的な行軍要求は無かった。

⑤なぜ英は独を自国に最も有利な形で動くよう要請しなかったのか? ⇒ ???

 

これは独は「英が何も言ってこないのを良い事に好き勝手した」という事であり褒められたものではないですがそれならば、英は独に「私は貴方に何も要求しない、何も言わない、が貴方は私の意を汲んで(何も言われなくても)私に最良となるよう推し量り、実行すべきだ」となり、「随分と良い態度」であるようにも思います。

 

実際仏は01春にウェールズOPで開始しており、独に「こちらはF Lon-Engしますからそちらは当然A Mun-Burしますよね?」と言われたら言い訳は困難ですし、言えて「A Mun-Burはフランスが支援付きでBurに進軍した場合に無駄になるのでRuhに行かせて欲しい」くらいです。 

もしそれが通ったとしても、02春の盤面で「確実に入れるのだからBurに支援付きで行軍せよ(もしくはA Bel-Picせよ)」と言われたら「もちろんそうします。 お待たせして申し訳ありませんでした。」以外には言えない場面です。

なぜ英はそうしなかったのでしょうか?

 

もう一点考察します。

 

03春に英は独を切り英仏路線へ転換しました。

その理由は「英独のパワーバランスの崩壊」であり、実際独は英を「使い潰そう」としていた訳でこの判断は妥当であろうと考えます。

では今度は「英仏のバランスを保ち(というよりは英優位な形で)ながら多数派を構築し、制覇を目指す」にはどうすれば良でしょうか?

 

 

03秋行軍を見たN氏からこう尋ねられた。

「A Ruh - Bel,A Hol S (A Ruh - Bel),A Bel - Bur,A Mun S (A Bel -Bur)で良くないか?」

「A Belの行き先がないから対仏転換の方が自然だろ。」と。

実際私もそう思います、ではなぜそうならなかったのでしょうか?

 

独視点での答えは「反転後もう英は明らかにこちらと交渉する熱が消えていたから」です。

もし仮に「英独のパワーバランスの崩壊を懸念してこのような行軍を取りました」の次に「なので「あれあれ・これこれ」してくれればそれは解消されるので、もう一度組みなおしますよ」とか、「ここから英独組みなおすのであればどのような形が最良かご教授願えませんか?」みたいな働きかけがあればドイツPLは(ガバ勢ではあるが)上記行軍ぐらいは提示できたであろうし、英のBel確保と独のBur突破という状況が生まれたかもしれません。

英には「勝手に独がBel放棄してBur突破に向かった」で済みますし、独には「合意履行しました。 今後ともよろしく。」となり、盤面見た上で増設で明日の主導権を確保できたでしょう。

 

結論に移ると「英仏の明暗をわけたもの」、それは交渉姿勢です。

英は独との協調時に彼に要請しなかったことで協力をうまく引き出せなかったし、敵対時には妥協点を探ること(またはそれを装っての欺瞞を仕掛けることが)が出来ませんでした。

逆に仏は包囲網を断ち切るために常に相手と交渉し、妥結しようとしていましたし、それは自国の有利不利にかかわらず終始一貫していました。

この部分が03秋に独の行軍に反映され、以後は英独共に仏に主導権が(外交的にも盤面的にも)完全に移行してしまいました。

 

まとめ

ディプロマシーとは「同盟を結ぶゲーム」であるが同盟の目的は「自国の勝利のために他国から最大限の協力を引き出す」ことに他ならず、そのために常に同盟国を自国有利に動かすよう交渉しなければなりません。

また「昨日の敵は今日の友」なら「今日の友は明日の敵」であるのがディプロマシーであり、敵を永遠の敵としないように交渉しなければ明日の敵に対抗できません。

つまり「味方には厳しく敵には優しく」常に交渉し続けるべきであり、そうして初めて次の格言が実行できるでしょう。

 

 

以上となります。

ご同卓頂いた皆様に感謝いたします。 ありがとうございました。